2021年9月2日木曜日

オリ・パラ開催できたね。ついでに「デフ」も覚えてね。

 「あの~、ちょっと静かにしてはくださらんか?」

見えない相手にお願いモードで語りかける

「ジージージー」 「ミ~ンミンミンミンミ~ン」

ここが東京だと忘れてしまいそうなほどの蝉の大合唱。

ちょっと静かにしてはくださらんか・・・

しかし残暑の中に微かに乾いた空気を感じるようになった頃、

蝉たちは無事、気の合うパートナーと出会い旅立っていったのだろう。

東京下町の小さな一角は、ひっそりと秋を迎える準備が始まった。




こんにちは。食品課の舘入です。まだまだあぢ~日(暑い日)もありますが、
いかがお過ごしでしょうか。

春先まで住んでいた家の近所は、蝉の声と入れ替わるように鈴虫が秋を連れてきたのだが、
最寄り駅は変わらないというのに、ここは怖いくらい静かだ。室外機の音に交じって200メートル先の踏切の音がちょっと寂しい。
夜の帳が下りる頃 。小さな一角にともり始める灯りは、なんて優しい色をしているのだろう。踏切の音と共に郷愁のような < 憧れのような感情を呼び覚まし、見えない灯りの向こうを想像しながら、暮れなずむ時間をもう少し楽しんでいたい。


踏切に限らず、音は少し離れたところで聞くと、心を穏やかにしてくれるものである。
暴走族の爆音も、夏の夜、浜辺に遠くから聞こえてくると、それなりに雰囲気があるし、
近所の日曜大工のトンカンも、すぐ隣では煩くてかなわないが、ワンブロック先から聞こえてくれば、案外ほのぼのとする。
最近はめっきり嫌われてしまった風鈴も、どこからか聞こえてくる分には、味わい深い音色である。
人間の聴覚は音を聴くという物理的な機能だけではなく、感情を動かす機能も具わっているのだろうか・・・


先日、緊急事態宣言中ではあるが、お互いワクチン接種も済んだので会わずにはいられずに、
年上の知り合いと久しぶりにお茶をした。
約束の時刻の10分前に、私ともう一人の友人で、JR駅近くのファミレスに着くと、彼女はすでに到着していて、奥の席に座り下を向いていた。彼女の前まで行ってもまだ気が付かず、右手5指でテーブルをトントントンと叩くと、その振動で気が付き「待ってました」と言わんばかりの表情を見せた。  

彼女は、自分が注文したい食事と飲み物のセットをすでに決めていて、それを書いた走り書きのようなメモを私に見せる。店員を呼び手短に注文を済ますと、一気におしゃべりは加速していく。
家族のこと、趣味のこと、共通の知り合いのこと、旅行に行きたいこと、昔の友人を探したいこと、次から次へと話題は変わり、あっという間に3時間が過ぎていった。

彼女は「もう時間、残念」と言った後「まだ話し足りない」と何度も何度も言いながら、初めに注文した食事が、ほとんど手を付けないまま置いてあることに気が付き、すっかり冷めきったそれを、急ぎ食べ出したのだった。
私には割と見慣れた光景で、逆に食事をすべて食べきってから、心おきなく話に入る人もいる。





さて、賛否両論のオリンピックが無事終わり、パラリンピック真只中である。
アスリートってかっこいいですね。私は子供のころからスポーツが苦手で、体育の授業だけでも持て余しているのに、やれ運動会だの、体育祭だの、球技大会だの、水泳大会だのって、もうやめてくれー。
人間は水の中から這い出てエラ呼吸を捨て、代わりに肺呼吸を手に入れ、進化を遂げたのではないのかい? それが何を今更また水に入らなければならないのか・・・長年の謎である。
              
そんな考えだから、スポーツができる人ってスゴイって思う。自分はスポーツが得意になりたいかって言ったらそうでもないが、見ていてただただ感心してしまう。
 
そんなすごいオリパラだが、私は競技もさることながら、開会式の入場行進が大好きである。
色なんて関係なく、いろんな国の選手が一堂に会する様、出場国の選手が、自国の国旗を誇らしげに掲げた姿。そこには差別や争いなんか、なくなったんじゃないかと錯覚するほどである。
 
内戦が続く国もあるだろうし、施設や備品がなく、思うように練習ができない国もあるだろう。開催国に行くだけで大変な負担になるほどの経済格差の国もあるはずだ。
何百人もの選手団の国もあれば、たった一人で臨む国もある。オリンピックスピリッツはよく解らないが、ひたむきに競技に挑む姿はかっこいい。

コロナ禍でどの国の選手もマスクを着用。国旗の色を取り入れた衣装と合わせてコーディネートしてくる国も多い。 日本選手団の入場が近づいてくると「白地のマスクが日の丸」になっていたらどうしようと変な心配をしたのは、私だけだろうか? 友人に話したら、バカにされた。 なんでよ?




パラリンピックは、障がい者のオリンピックという位置付けで認知されてきたが、ろう者に関しては、出場枠がないのをご存知でしょうか?ろう者団体は、かつて出場経験はあるが、今は出場しない。
「聴こえないだけ」と言われることが多い聴覚障害だが、見えない障害とも言われ、そのハンデはとても大きい。
ろう者は自分たちのスポーツ大会を4年に1回開催している。その歴史は古く 1925年のフランス大会から、少しずつ名称を変え現在に至っている。IOCの承認を得た世界大会である。




それはオリンピックではなく、パラリンピックでもなくデフリンピックと言う。
今年12月のブラジル大会は来年に延期になってしまった。昨年オリパラの延期が決定した時、
コロナ問題はさておいて、21年はオリ・パラ・デフ開催だーと、秘かに喜んだが残念である。
全日本ろうあ連盟を中心に、デフリンピック25年夏季大会の東京招致に動いている。
決定はまだ。果たして・・・
ちなみに、IOC認定の競技大会には、スペシャルオリンピックスという、知的障害者の大会もある。

「日本手話」が第一言語であるろう者は、自分たちの障害、自分たちの言葉に誇りを持っている人が多い。
※「日本手話」とは、日本語の単語、文法に手の動きを合わせた、日本語の置き換え手話ではなく、
ろう者の文化を反映した、日本語とは違う文法を持つ独自の言語



先に書いた年上の知り合いは、日本手話を第一言語とするろう者だ。
日本語は習って覚えた言葉なので、私が英語が解らないのと似ていて、習っても日常的に使わないから、単語レベルなら筆記でもなんとかイケるが、文章になると書くのも、読んで内容を理解するのも苦手のようだ。
 
音声言語である日本語に対し、手話は文字を持たない視覚言語。
会話コトバとして発展してきた歴史がある。表情をはじめ、目線、口の開け方、手の距離や向き等々、それらすべてが手話であり大事な文法である。実は手の動きよりも重要であると、ろう者は言う。
 
このコロナ禍、聴者はLINEや電話SNSなどでコミュニケーションをとり、情報を得る。
音楽を聴き、テレビやDVD、YouTubeなどで家時間を過ごす人も多いと思うが、ろう者は、特にパソコンやスマホを持たない高齢のろう者は、家の中で息を詰まらせている人も多い。聴者とは少し違うストレスを溜めているかもしれない。文字を持たない手話は、対面して初めて成立する言語である。

だからしゅわべる(手話+喋る/最近こういう言い方が一部で流行っているようだ)ことができるとなると、一気に加速するのかもしれない。しゅわべりながら、食事の同時進行はしにくいから、先に食べてしまうか、後で食べるような、極端になってしまうことがあるのだ。




スポーツ観戦をしながらテンダイの甘栗、勝ち笑い栗、パクっと焼いもはいかがでしょうか?
関東、近畿のダイエーで販売しています。栗は河北省、広東省から厳選して輸入し、国内加工。
焼いもは国内産紅あずまを使用。どれもおいしいですよ!!



また、スポーツ観戦には、ビールをグイッと!なんて人もいますよね。
我が区に本社がある○○〇ビール。缶のくせに生ビール感覚が味わえるって話題だが、
なかなか手に入らないらしく、私はハナから諦めていたが、先日、知り合いが1本くれた。
 わ~い!!
その人も、群馬の実家に頼んで手に入れたそうだ。
冷蔵庫で冷やして、プシュッ!



期待ほどは泡が立たず。 どうやら適度な温度があるみたいだぞ。
でも確かに生ビールの雰囲気を味わえる。定番商品にしたら売れると思うが・・・・

   おいしいビールのお供には
<ヤンニョンチキン>  ・前回写真がなかったのでリベンジ

<マヌルチョン ムチム> にんにくの芽の和え物   ・無限に食べていられる


<ピビンパ(私の心のソウルフード)> ※マクロビバージョン
・動物性食材を使わず、肉の代わりに高野豆腐を焼肉っぽい味付けで代用
・元々、ピビンパに生卵や目玉焼きは入らない


<韓食の必需品>
ニンニクは購入したら、全部剥いて洗って冷蔵庫に。
使いたい時すぐに使えるように! 
1ネット3玉だいたい20日位で消費。


長々と、お読みくださりありがとうございました
医療従事者の方をはじめ、コロナ関係にご尽力の皆さま、本当にお疲れ様です
どうぞ、ご自身もご自愛ください。
昨年末のブログに、21年はコロナで終わらない年でありたいと書きました。
各国、どの分野でも初めての経験。試行錯誤を繰り返し、積み重ねて終息?収束?に向かってゆくのでしょうか。
次のブログ担当の時は、旅行に行ったとか、宴会やったとか、そんなお話が書きたいものです。




0 件のコメント:

コメントを投稿